この仕事を始めて18年、開業してから7年になりますが、これまで6カ所の職場を経験しました。その中で、なんといっても印象に残っているのは、1992年10月から翌年7月まで働かせていただいた沖縄県立宮古病院です。なぜ、宮古島へと思われるかもしれませんが、所属していた医局の派遣先の一つだったのです(今は違いますが)。
その当時の自分は、取り組んでいた研究の仕事も一段落つき、ドイツでの学会発表も終えたころでした。その前の1年間は病院の勤務を夕方に終えてから、毎日1時間かけて大学の研究室へ通う生活でした。帰宅はいつも11時30分頃で、土曜、日曜日も実験に通っていました。そんな事情で少々お疲れ気味の自分にとって、「宮古行くか?」という当時の医局長の一言は、天使(悪魔?)のささやきに思われたのです。
宮古島は学生時代に訪れたこともあり、まったく見ず知らずの土地ではありませんでした。一区切りついた研究の論文を書くにもちょうどいい機会と考え(長女はまだ3ヶ月にもなっていませんでしたが)、いろいろ考えたあげく、行かせていただくことにしました。
ご承知のことかと思いますが、宮古の海の美しさは、沖縄本島とは比べものにならないほどです。宮古に到着してしばらくは、うれしさのあまり、島中のビーチを見て回りました。宿舎からは海が見えないため、毎朝早く起きて海が見える場所までジョギングしたりもしていました。
仕事の上では部下の耳鼻科医一人を抱える立場でしたが、その当時の僕はまだ医者になって5年目、浅学の身であり、全くの未熟者でした。僕より以前に赴任した先生方はみな3年以上先輩であったこともあり、大きな不安を抱えての出発でした。というのも当時は、宮古島地区(周辺の離島を含めて6万近くの人口)には、耳鼻科を専門とする医師は我々しかいませんでした。すなわち、300km離れた沖縄本島にしか紹介できる病院はないのです。当然のことながら、耳鼻科の病気はすべて対応しなければならず、着任中どんな時間でも、いつ連絡があるかという生活で、お風呂にまでポケベルを持って入っていました。
今思えば、数多くの経験をしました。自分のような人間でも医者として少しは世の中の役に立つこともあるんだという大きな喜びを感じた瞬間もありましたが、反対に自分の無力さを痛感することも幾度となくありました。医者としても一人の人間としても貴重な時期であったと思っています。
仕事以外では、本当に沖縄の自然の美しさと人々の心の美しさにふれ、楽しい思い出がたくさんあります。大阪のゴチャゴチャした環境で育った自分にとっては、ふれるもの一つ一つが新鮮でした。宮古島で開業して一生このままいようかななんて、考えたこともありました。宮古島を離れるときの寂しさは今でも忘れられません。
宮古島での印象的なエピソードは、たくさんあります。また機会を変え、書こうと思います