ご承知の通り、我がやなぎだ耳鼻咽喉科は東大阪市の鴻池新田にて診療を行っております。東大阪市といいますと、人工衛星「まいど1号」の打ち上げでも有名になりましたが、中小企業や町工場のイメージが強い所です。
さて、そんな中小企業の町である東大阪市の真ん中に、日本を代表する作家の記念館が存在することを、みなさんはご存知でしょうか? それは、日本を代表する歴史作家、司馬遼太郎の旧宅を改装して作られた「司馬遼太郎記念館」です。先日、その記念館の館長から直接お話を伺う機会がありましたので、本日はその際のお話を少々。
お話をしてくださった館長は、司馬遼太郎の義弟にあたり、ご自身が小学生の頃から司馬さん本人と密に接してこられた方です。今回は我々聴衆側の人数が少ないということもあって、特別に記念館の事務所へと案内していただき、大きな会議用のテーブルを囲んで小グループでの講演という、なんとも贅沢な会となりました。
館長の上村さんは、司馬さんの幼少時代から新聞記者を経て歴史作家へと至る、その時代ごとのエピソードを交えつつお話しくださ いました。
幼い頃から司馬さんはとても探究心の強い子供であったことや、相手の年代に関わらず話を一生懸命に聞き、その相手に応じた話の作り方ができたということ。また、常人離れした読書量でいくつもの逸話を持つ司馬さんですが、館長によると、その逸話も本当だったようです。
今年の11月からNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が開始されることもあり、「坂の上の雲」にまつわる話もたくさん教えていただきました。この作品の映像化については、今までに何度も何度も依頼があったそうですが、作品のイメージを壊すことなく映像にするのはとても難しいとそのたびに断っておられたそうです。今回は、このスタッフなら間違いなく良い作品になると確信したうえで決断されたとのこと。司馬遼太郎ファンの私にとっては、楽しみで放送が待ちきれない思いです。
最後に、今回最も印象深かったお話を。
司馬さんが歴史小説を志したきっかけは、自身の悲惨な戦争体験が元にあったのだそうです。戦場での兵士の非人道的な言動や志向を目の当たりにし、なぜ人間は、日本人はこんなことになってしまったのか?昔の日本人はどうだったのだろう?戦国の人や、明治の人々はどう考え、どう生きたのか? それを探ることが小説家への出発点であったといいます。多くの司馬作品には、迫力あふれるリアルな戦場の場面が数多く登場しますが、それらは決して戦争を美化するためのものではなかったわけですね