ようやくたどり着いた34階。しかし、シャワーのお湯も出ず、エアコンも動かず、電話も不通です。この段階で、僕は外界とのコミュニケーションと隔絶されたことに気付きました。かろうじてラジオがあったことを思い出し、スイッチを入れました。僕の英語力で理解できたのは、テロではないので冷静に対処するようにということと、カナダやオハイオとか、50 million people(5000万人!!?)だとか、ともかくとんでもなく広範囲の停電だということでした。
そうこうしているうちに、世間と部屋の中はいよいよ暗くなってきました。ラジオでは「ブラックアウト、ブラックアウト」と連呼しており、「今夜はもうこのままかも」と覚悟を決めました。しかし、気になるのは部屋に食べ物や飲み物が全くないことです。それに外の様子が全く見えず、地上がどうなっているのか心配になってきます。考えたあげく、食料の確保と現状把握のため、懲りもせずもう一度下へ降りることにしました。
薄暗いロビーラウンジには人があふれ、フロアーにざこ寝状態。外は真っ暗で、驚くほど多くの人間が路上に座ったり寝ころんだりしていました。みんなの顔はやり場のない怒りに満ちており、一種異様な光景でした。
ロビーの隅っこで、あたかも配給のように食べ物を販売していましたが、手に入ったのはバナナ1本とオレンジ1個、チョコバー1個、ミネラルウォーター1本でした。これが今日の夕食かと思うとちょっぴり悲しくなりましたが、この食料を握りしめ、またもやハーハー言いながら34階まで上りました。
しばらくすると電話が復旧し、まずは自宅へコール。日本でもすでに停電のニュースは大々的に報道されていました。妻の話から状況を把握し、当分の復旧はないと判断、ここまでくると自分の置かれている状況がちょっと笑えてきました。初めて来たアメリカ、ニューヨークは猛暑で大停電。もうヤケクソです。開き直って寝るしかありません。部屋にあったスコッチのボトルをグビグビ飲んでやりました。でも眠ったと思ったらまた目が醒めるという繰り返しで、不安な一夜を過ごしました。
僕の泊まっていたホテルの電力の復旧は、翌日の午後1時30分でした。朝になってもう一度地上まで降りたので、結局、34階を階段で3往復したことになります。とにかく電力に頼る都市機能の脆弱さを痛感した夜でした。
いろいろありましたが、やっぱり I love New York かな。